鹿とか猪、ご存知の通りめっちゃ増えてるみたいです。


つい先日、狩猟わな免許を取得したんですが、免許取得のために参加した、猟友会が開催している講習会でも「鹿や猪が増えすぎている、数を半分にしたいと国は考えている」みたいな話をベテラン猟師のおっちゃんから聞きました。

これについてはまだ出猟経験がないものの、まあいろいろ勉強真っ最中なところです。


そう!狩猟はルールが厳しいし、手続きも煩雑!あとすごく思ったのはめっちゃアナログ!メールでのやりとりとかなくて、だいたい郵送だけですべて完結するけど、仕事しながら郵便局いくのはしんどかったよ…。

もう少し、せめて始めるところのハードルは下げられないものか。見方を変えれば、例えばだけどモラルのない質の低い人達が狩猟という世界に入ってくる、それはそれで嫌だけど、でもそもそも狩猟者少ないんだもんなあ〜。




ぼくが狩猟始める理由はシンプルで、自分で肉が食いたいから。徹頭徹尾、食欲に突き動かされていることを声を大にして言いたい。

鹿1頭いれば、1人で1日3食、毎日肉ガツガツ食ったとしても、、、って例え話を書こうと思ったんだけどどれくらい持つんだろう…?

1ヶ月1日3食、主食は鹿肉だぜキャンペーン。今度試してみたいな…w


「狩人ってケモノを守る人って書くよね」っていうのは、昨年参加した狩猟サミットで聞いた話。

聞いてめちゃくちゃ「なるほど〜〜」って思った。笑

その森について調べて、そこで何頭の動物が住むのが良いか、っていうのをちゃんと算出してその数になるように「個体数調整」なるものをしていることも、勉強していく中で初めて知った。多すぎてもいけないし、少なすぎてもいけない。

ちなみにこの記事を書いた2016年3月15日現在はまだ埼玉住民だけど、秩父の山にはツキノワグマが100頭くらい居て、すごいちょうど良い数なんだとさ。

だから鳥獣法的には狩っていいんだけど、あまり狩らないでね、って言ってた。どうやってその地域に住む動物の数が最適なのか調べる式がまだあんまり知らないので、また勉強してみよう。



命を奪うということ

この辺りは、狩猟に関わる人間として何度も何度でも書きたいテーマ。

かわいい鹿とかを銃で撃って、解体して食うわけだから、おそらく一般的な感覚を持っている方からすれば、だいぶ残酷なことをしているように見えると思うのよね。

「かわいそうだと思わないのか!」「酷い!あなたには人の気持ちがあるの!」みたいな反応もあるでしょう。

でもひとつ言えることは、猟師ってだいたいめちゃくちゃ自然とか動物が好きな人たちで、動物愛は人一倍強い。狩猟やってるいろんな人に会って話聞いた感じ、これはすごい強く思ったことのひとつ。

何も考えてなかったら、普通にスーパーで売ってる肉食うよ、そりゃ。別に殺すのが楽しいなんて思ってないし、銃で撃った直後の鹿見ると、なんかうまく言語化できない「うああああ」って気持ちになるもん。

撃つ前だってすごい暴れてるし…これからはぼくも自分の力で、猟をすることになるだろうけど、止め刺しはいつになっても慣れないだろうなと思うなあ…。

「命を奪う」行為は確かにするし、それは確かに残酷なんだけど、人間は古来からそうして他の生き物の命をもらいながら生きてきたし、それが自然の生態系とか弱肉強食ってやつだし、とても自然なことのようにぼくは思う。

真摯に命に向き合うからこそ、思わず目を背けたくなるような自ら動物を狩って、お肉としていただくってことをするんだと思う。ってことを書きたい。

書きたいんだけど、実体験に乏しすぎるからまだ言葉や思想が浅い。もっともっといろんな人の考え方に触れたいし、自分の思想や哲学も深めていきたいなと思う今日このごろ。

「可哀想だから」という時代は完全に終わった

冒頭の話に戻るけど、ただひとつ言えるのは「可哀想だから殺すな」というのは現実見れば、もはや無理な話だということなんじゃないかと。

ただ、その状況はすぐ変わらないし、例えるならなかなか治らない病気みたいなもの。

現実から目を背けて思考を止めるより、病気の完治に向けて、どうやってその状況と向き合っていくかを考えていく方が、よっぽど健全だとぼくは思います。