ぼくが狩猟というものを勉強しようと思って最初に手にとったのがこの本です。

人間の基本的な食べるという行為。ぼくたちはお肉やら野菜やらを食べて生きています。

肉を食おうとするならば、生きているニワトリなのか、牛なのか豚なのか、生き物を殺さなければ肉にありつけないのが通常です。

モノが溢れる世界で、今この瞬間において、原始的だけど根源的な生き方をしている「猟師」の思考回路ってどんな感じなんだろう…?

自分で自分の食う肉を取りたい。猟師の「生きる」に対する考え方が気になって夜も眠れない…!

今から1年ちょっと前、そういうことを知りたくてたまらなかったのですが、ほんとうにこの本を手にとってよかった!笑

というのも狩猟という世界に縁もゆかりもない自分でも、ある程度、狩猟のことについて、そして、猟師の思考回路をいい感じに理解できる1冊でしたー!

「会社辞めて狩猟とかやりたいです」って言ってた時は、だいたいの人がよくわからないって感じだったし、正直なところ自分も理解度が低いし、実猟経験もないから、リアリティーを持って話せなかったんですよねえ。。。

狩猟ってものをよくわかってない人にこそ、食べる、生きる、そういう根源的なところに触れながら生きる生き方もあるんだなーと読んでもらいたいし、割と安いし読みやすい。

あと小さい文庫本だから通勤時とか、空いてる時間にスッとかばんから取り出して読めるかも。激推しの1冊です。

ちょっと時間ができて、改めて読んでみたので読書メモを残しておきます。

・中学2年生になった1998年、商業捕鯨が停止されます。日本の伝統文化である捕鯨が欧米の圧力で停止に追いこまれ、鯨肉が食べられなくなるというのは許せませんでした。 ・1988年、ソウルオリンピックの開催年で、混獲の犬肉食も野蛮だと非難されていました。これも欧米諸国による他の地域や国の文化に対する偏見をもとにした、価値観の押し付けに他なりません。動物を高等、下等と区別し、自分たちが大量消費する家畜は高等ではないと言い張るご都合主義。動物を自分たちにとって都合のよい形質に無理やり改良して、それを狭い畜舎で飼育し、大量に殺していくことのほうがどれだけ野蛮なことなのか。 ・ワナ猟では、"いかにワナの存在に気づかせず、普段通りけもの道を歩かせるか"ということが重要です。新しいワナはそのにおいを最大限消し去ることが必要になります。新しい鉄や塩ビでできたワナのにおいは山の動物にとっては異臭そのものです。 ・けもの道は普通の人が歩いても気づかないくらい目立たない道ですが、慣れると簡単にわかるようになります。不自然な感じで斜面に段差がついていたり、平坦なところでも微妙に踏みしめられた枯れ葉などがあったりして判断できます。糞や足跡などは一番わかりやすい目印です。 ・動物がワナに足を降ろす地点だけでなく、どの足でそこを踏むかまで計算する必要があります。掛かった脚は、暴れたりすると血管が締め付けられ、内出血などを起こしてしまいます。こうなると肉が傷んでしまうため、良質なモモ肉が取れる後脚より肉の量も少ない前脚に狙いを定めます。 ・…七度目の猟期を終えて思ったのは、やはり狩猟というのは非常に原始的なレベルでの動物との対峙であるが故に、自分自身の存在自体が常に問われる行為であるということです。自分が暮らす土地で、他の動物を捕まえ、殺し、その肉を食べ、自分が生きていく。そのすべてに関して自分に責任があるということは、とても大変であると同時に、とてもありがたいことだと思います。自分自身でその命を奪うからこそ、そのひとつひとつの命の大切さもわかるのが猟師だと思います。 ・猟師という存在は、豊かな自然なくてしては存在しえません。自然が破壊されれば、獲物もいなくなります。乱獲すれば、生態系も乱れ、そのツケは直に猟師に跳ね返ってきます。狩猟をしている時、僕は自分が自然によって生かされていると素直に実感できます。また、日々の雑念などからも解放され、非常にシンプルに生きていける気がします。

著者は京都大学 文学部を卒業している千松さん。それが関係あるかどうかはわからないけれど、スッと文章が入ってくるし、狩猟だけじゃなくて、休猟期にとる山菜のこととか肉の調理方法とかも書いてあるからおもしろいところ。

昨年京都で開催された狩猟サミットで、ちょっと話した程度だけど、話す中身はめっちゃ興味深いことばかりだったなあ。。。

猟師という原始的な生き方があるということを、実際にやらずとも知るだけでも、ぼくには随分と大切なことのように思います。