先日、職場で家畜としてヤギを飼っていて、その世話をしている途中に珍しいバッタを見つけました。

日々、これまで自分が知らなかった新発見だらけです。

「ああ、おれ本当に何も知らないんだな…」と凹み気味に捉えることも正直ゼロじゃないです。

ただ、知らないことがあることを強く自覚することは、とにかく退屈せず、モノゴトを楽しめるようになる考え方だと、ここ最近より強く思うようになりました。

というわけで、そう思う理由を3つほど上げてみます。割とガチで書いてみた。読了10分。

もし全てを知り、限界へ到達したら…待っているのは退屈と停滞。

たとえ話だけど、もしあなたが物理学を勉強・研究していたとしよう。

研究者として目指すべきは、この世の中のありとあらゆる物理的な現象を紐解いていくこと、だと思う。

実は、「不確定性原理」というものがあって、一言でいえば「もうここまでしか物理学的には証明できません、これ以上は無理です」という限界のラインがあることを、原理として証明されてしまったんですね。

その限界より先は「たぶんこうだよね、でも本当かどうか知る方法ないよね」と妄想話を繰り広げるだけで終わってしまう。

つまるところ、物理学をどんなに研究したところで、もうここから先は知る由もない、学問としてはそれ以上進むことができないんだ、という話。

「なんだよもう無理なの証明されてんじゃねーかよオイ!」と思うかもしれない。でも、証明不可だけど、まだまだ更に深いところを追求できる可能性も同時に秘めていると思います。

もし仮に、疑いの余地がないまでに、この世の物理現象が全て100%解明されていたらどうなるでしょう?

まあ当たり前の話ですが、決して進歩するなく、停滞するでしょうね。だってもう全部明らかなんですから。

物理学者が目指してきたあらゆる物理現象の解明、学問としての究極の目標が達成された暁には、永久に続く「進歩なし」という退屈が待っています。それはどう考えたって、つまらないですよ。

それよりも「これ以上調べるのは無理だ」という定理に立ち向かうべく、ああでもないこうでもない、と議論を交わしてく方が、退屈じゃないし張り合いがあるってもんだ、と思います。

何が言いたいかというと、「本当に全てを知ってしまったら、知的好奇心のない退屈な世界が訪れる」ということです。

規模感がでかい話をしてるけど、日々の仕事だって、知らないことがあるからこそ、学ぼうと思う。ある仕事をある程度できるようになったら、退屈に感じるようになった、っていうのも同じような話です。

無知の知で有名なソクラテスから学ぶ。
無知だからこそ、アツく、真実を追求する

あんまり哲学について知らずとも、ソクラテス、という名前は聞いたことあると思います。あと、「無知の知」という言葉を聞いたこともあると思います。

無知の知、という言葉は、「知らないということを知っているから、変に知ったかぶりしてるやつより賢い」という意味合いで捉えられてることが多いように思うんです。

いやいや、実はそうじゃないんです。「知らないのが偉い」なんてソクラテスは言ってないんです。じゃあどういう意味かというと、ソクラテスの生き方を知ると明らかになります。

なんでこんなことを話してるかというと、「真実を知る」ということにおいて、一番最初に哲学したのがソクラテスで、個人的にこういう"原点回帰"が好きだからですねw まあ、ちょいと長くなってしまったんですが、興味ある人はお付き合いくださいな。

さて、ソクラテスってどんな人なのか、超簡略版で解説すると、今からざっくり2500年前、ギリシャで活躍していた哲学者です。

当時、ギリシャでは「まあ価値観って人それぞれだよね」という相対主義的な考え方が主流でした。つまるところ絶対的にこれが正しいんだ!と言わない、というか言えない文化でもあったということですね。

そして、当時のギリシャ文化では、政治家も「こうだ!」ということを言わず、「国のために、幸せになるために!」みたいな聞こえの良い、中身のないことばかり言っていた。

そこにソクラテスはバカのフリをして近づいて「国のためにってどういうことですか?」「幸せってなんですか?」と質問し続けて、最終的に政治家が答えにつまったら「え!!知らないのに喋ったの!?お前、頭パッパラパーだな!バーカバーカ!」と力の限りバカにする。

ちなみにこんなことをして、ソクラテスが得することは、"何一つない"ですよ。

じゃあなんでこんなことをしていたかというと、当時の相対主義的な考え方がソクラテスは大嫌いで、そうじゃなくて、絶対的な真理を、ただただ知りたかった、というそれだけに尽きるわけです。

「聞こえの良いことばかり言っている政治家は何もわかっていない、ただ、何が正しいか私にもわからない。だから、共に考えようではないか」、そういったソクラテスの話しが「無知の知」というエピソードのもとになるわけなんです。

知らないからこそ、知りたいと思う、、、!知らないからこそ、真理を追求したいと思うアツい気持ちを持つことができる…!!

そういうことを彼は日頃の態度で示していたわけですな。

それで個人的に思うのは、知らないからこそ、知的好奇心を持って、本を読むし、図鑑を見るし、人に教えを請うたりする。そして知れば知るほど、また新しいことを知りたくなって、、、その繰り返しで求める知のレベルはどんどん上がっていくし、単純に飽きないし楽しいもんであるんじゃないかと。

知ると、できるようになると、人生楽しくなると「ドラクエ」から学んだよ

みなさんご存知、最強におもしろいゲームのドラゴンクエスト!

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いやー、楽しいよね。もうほんとマジで。そしてそんな楽しいゲームが、なんと5,490円!

「自分の人生、たかが5,490円のドラクエよりつまらんな」と思ってる人は、今すぐにでも仕事辞めるなりなんなりして、好きなことした方がいいですよ!と思ってたりするんですが、まあそれは別の話しなので置いておきましょう。

ところでドラクエは、一番最初は「ヒノキの棒」を武器に、「お鍋のフタ」を盾に敵と戦って、徐々にレベルを上げていって、馬車を手に入れ仲間を増やし、船を手に入れ大海原を駆け巡り、空飛ぶじゅうたんを手に入れ、世界中を飛び回る、みたいにどんどんと出来ることの幅が増えていくゲームです。

そんで、まあ自分の人生もドラクエに似たようなもんだろうなと思ってるんですが、ぼくの場合は、社会に出たばかりの20歳くらいの時は、最初は間違えだらけの敬語で、PC操作はタイピングすら覚束なかったくらい。

でも、徐々にPC操作も覚え、敬語も名刺の渡し方も覚え、webマーケティングの基礎を覚えて初めて、簡単なHTMLもできるようになって、業界知識も増えていって、人脈(仲間)を広げていって、自分の武器もレベルもあげて、、、っていうのを3〜4社くらいのベンチャー企業で修行して、だいぶ会社で売り上げ出せるレベルにまでなりました。

仕事でもなんでもそうだと思うんですけど、できるようになってくると楽しいですよね。

ギターも弾けるようになってくると楽しい。

ラフティングガイドも、川のメインストリームにしっかり乗れるように操船できるようになると楽しい。

1つずつ、知ってることできることを増やしていって、それを実感できるようになると、自分の成長を楽しめるようになって、また更に楽しくなる好循環が生まれるよね、っていう話です。

まとめ

何度も「退屈しない」「楽しい」なんて言葉書いてるけど、まあ結局は楽しければいいだろうと思ってるところがあるけれど、最近楽しいって感覚が日常的にはないなあ、なんて思ってる場合は、考え方変えれば余裕で楽しめるだろう、というわけです。

世の中知らないことばかり。なんでか知らんけど、ビックバンが起きて宇宙ができて、でかい岩がガッチャンガッチャンいってぶつかりあって地球ができて、そしてなぜか生命までできて知性や理性をもって、こうして哲学したりするわけだけど、こんな意味のわからないことで溢れかえっている世界にも関わらず、「ああ、なんか楽しいことないかなあ」と言い出すのは、考え方が狭まってると思うわけです。

知らないからこそ、知りたいと思う。知ると、もっと知りたくなる。できるようになるともっと楽しくなる。今から2500年以上前の先人と、ゲームからでもこういう学びを得ることができる。ぼくは、毎日楽しいです。