職場では、養鶏所からニワトリをもらってくることが多々ある。

鶏肉にして食べるためだ。

そのためには、大まかには①屠殺→②毛むしり→③捌く→④肉にする、という感じのステップが必要だ。

「食べるために、殺す」という行為をやってみて、本当はもう少し何か思うことがあるんじゃないかと、狩猟がやりたいなーと思い始めた2年前くらいに考えていた。

それで、実際に殺してみて、「当たり前だ」「頸動脈を切ったんだ、そりゃ死ぬだろう」というような、なんていうか、当然である、という感覚だった。言い換えれば、当然だから特段なにかを感じることがなかったんだ。

敢えて言うならば、肉を食べるとき、「あれ、これ自分が絞めた鶏だっけ」みたいに思う感覚は、こっちに移住してからだ。

そりゃあ東京でニワトリを、例えば庭の干場みたいなところに、逆さにぶらーんとぶら下げて、首を切る。そんなことなんてそうそう出来ないだろう。

下手したらなんかの事件があったんじゃないか、って思われて通報されるかもしれない。

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首の付根に顎骨がある。とさかを親指と人差し指でつまみ、残った指を手のひらで、クイッと頭を包み込む。

そして、上の写真のラインあたりを、ナイフでスッと切る。

この時のポイントは、ナイフをもってない方の手で目隠しをすること。大人しくなるような気がする。

もう一つはナイフをスッとやるところの刃の軌道上に、自分の手がない状態をつくること。そうじゃないと、自分の手ごと切っちゃうからね。

うまくいけば、数分で絶命する。逆さにぶら下げて、頸動脈を切るんだけど、実は首を切った直後は、ニワトリは自分の首が切られたなんて気付いていないんだ。だから切った直後は意外とおとなしい。

ただ、切ってから数十秒、1分ほどかな?それくらいするとバタバタと暴れ始める。

その時に近くにいると返り血を浴びる。大した量じゃないけど、血が服とかに付いてる気になるので、この時点では離れておくのが無難だろう。

でも、ぼくはまだ下手くそだから、たまに失敗する(数日前、再挑戦した時は、先輩にコツをもう一度聞いたおかげか、うまくできたと思う)。

狩猟のときもそうだ、と猟師から聞いたけど、基本は獲物を苦しませずにさっと止めを刺す。

でも、下手なうちは苦しませてしまうこともある。そうして申し訳ない、と感じると。

ぼくもまさにその感覚になったわけだけど、殺そうとしてるのに、「痛くしてごめんね」なんて、なんだか自分に都合の良いように、命の線引をしているように思う。

生きる以上、こうやって殺すこととは、切っても切れない。スーパーで売ってる肉だってそうだし。

ただ、なんていうかなあ。屠殺そのこと自体は悪いことだとは思ってないのに、どこかで罪悪感のようなものを抱えてしまっている感覚があって、すごい矛盾していて、気持ち悪いんだ。

たぶん、そのうち屠殺行為にも慣れてしまうだろう。

だから、まだ不慣れなうちに、この感覚に向き合っておきたいと、思う。

ただ、殺すことが楽しいわけじゃないし、好きなわけでもない。

だから、殺す時、心はどこか、揺れている。